16.宣言




「祥太郎先生! 遅いよ〜ん!」

ピンクの鉢巻を束で持ったナツメがすっ飛んできた。遠くで隼人が何か怒鳴っているが、ナツメはどこ吹く風だ。

「はいはい、祥太郎先生もピンク! 実行委員はみんなピンクね。」
「え…、僕、見学させてもらうつもりだったんだけど。」
「何言っちゃってるんですか、当然俺と一緒の組でやるに決まってるでしょ。」

「…祥先生、なんですか、こいつは。」

地響きめいた不機嫌な声が降ってきて、祥太郎は首を竦める。そう言えば、直哉とナツメは初対面のはずだ。

「あ、直哉君、紹介するね。こちらは日吉棗君。僕のクラスの生徒なんだよ。」
「…ああ、ふーん。」

気のせいか、直哉の瞳がギラリと閃いた。

「すると、ピヨピヨうるせー神社の息子ってのは、お前のことか。」
「なっ!」
「こっ、こらっ! いきなりなにを…うわっ!」

腰の辺りに腕が巻きついてきたかと思ったら足が浮いた。そっくり返りそうになって、慌てて手近のものに抱きついたら、それは直哉の首だった。
ナツメが片腕で軽く抱き上げられている祥太郎を、ポカンと口を開けたまま見上げている。祥太郎自ら、まるで小さな子供のように直哉の首にかじりついているのだから当然だろう。

「な、なにすんの急に! 下ろしなさ…。」
「いきなりベロチューの方がよかったですか?」

脅しつけるような目で睨まれて、祥太郎は思わず言葉を呑む。直哉は時折酷く露悪的だから、そんなことも本当にやりかねない。
祥太郎が呻きながら黙り込むと、直哉は満足そうにニヤリと笑った。それから改めて胸を張ってナツメを睨みつける。ナツメは直哉の眼力に押されて、一歩引いた。

「俺は滝直哉。アレの兄で祥先生の……男だ。」
「こっこっこんなところで何言ってんの!」

祥太郎は思わず喚いていた。直哉は隼人の方を顎で、アレと酷くぞんざいに指したくせに、祥先生の一言は舐める様にじっくり言った。そうして、祥太郎を抱きかかえる腕に、さらに力を込めるのだ。
祥太郎が喚くと一拍間を置いて、直哉は祥太郎に向き直った。間近から黒々とした、射抜くような瞳に見据えられて、祥太郎は思わず口を噤んでいた。

「…否定する?」
「ひっ、否定は…しないけど…。」

こんなところでなにを言わせるのだろう。祥太郎は自分の顔が、耳まで真っ赤になっているのを感じた。
ちらりとナツメを窺うと、口ばかりか目までまん丸に開いて、祥太郎と直哉を凝視している。
生徒の前で醜態を晒している。その思いが、祥太郎の顔にさらに血を上らせる。

「もうっ! 否定しないから! いい加減に下ろしてよ!」

足をじたばたさせると、やっと視界が低くなった。直哉は名残惜しそうに祥太郎の頬を唇で撫でて、それからやっと腕を放してくれた。

「そういうことだから。お・れ・の、祥先生にやたらな手出し無用だからな。」

直哉はことさら威圧的に言うと、ナツメの手からピンクの鉢巻を一本取り上げた。

「よりによって…なんでピンク…。」

小さくぼやくのが聞こえた。直哉は一度顔をしかめると、まるで肩で風を切るように歩いていった。

取り残された祥太郎は、ナツメのほうを恐々見た。
この好奇心旺盛な1年生は、今は口こそ閉じているもののまだ零れんばかりに目を見開いて、祥太郎を直哉の後姿を交互に見ている。

「…祥太郎先生、今のセクハラ親父、本当に…?」
「…セクハラ親父…。」

まだやっと二十歳の直哉に、それはあんまりな形容詞だ。しかし、質問の本題はそこではない。
祥太郎はしぶしぶ頷いた。あまりの恥ずかしさに、顔がゆだってしまいそうだ。

「よっしゃ!」

ナツメが、拳を手のひらで叩く音がして、祥太郎はびっくりして顔を上げた。
直哉の時代の生徒たちには、祥太郎と直哉の仲は公認とはいえ、わざわざ知らない生徒に知らせることもないと思っていたので、ナツメの反応は驚きだった。

「祥太郎先生、マジ可愛いから、そういう経験はあってもしょうがないと思ってた。いやむしろ、あってくれたほうがいいんだ。俺の手間が省けるからさあ。」
「あ…あのう、だけど僕、…別に男の子全般が好きっていう…アレじゃないんだけど…。」

声がごにょごにょと小さくなってしまう。どうしてこんな話を教え子にしなくてはならないのだろう…。

「いいんだ。こういうのって、可能性の問題だし!」

ナツメは至極上機嫌だ。

「先生だって、あんなセクハラ親父よりは、若い俺のほうがよくなるかもよ?」
「そ、そういうことじゃなくてねえ…。」
「つか、俺のほうがいいって、先生に分かってもらえたらいいんじゃん?」

ナツメはにっこり笑うと、丁寧な仕草でピンクの鉢巻を祥太郎に手渡した。祥太郎は呆然と、それを受け取るしかなかった。

「手始めにしては、運動会はアレだけど、ま、よろしくね!」

大きく手を振って、ナツメは走り出してしまう。
祥太郎は若い二人の宣言に、クラクラしながら立ち竦んでいた。





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